建築家・古後信二さんのブログ「マンネリズム」
マンネリズム
2013/07/24 更新
たとえば、ミュージシャン。
コンサートなどでは、ニューアルバムの楽曲しかやらない、というスタイルもある。
しかし、ファンは定番の大ヒットソングを聴きたいものだ。
永ちゃんのコンサートにいけば、かならず、トラベリンバスで、タオル投げがしたいのがファンの心情。
メタリカでも、マスターオブパペットやらエンターサンドマンの演奏が始まると、観客はピークに達する。
たとえば、永ちゃんが、音楽性の進化を追及しはじめて、ヒップホップの格好をしてダンス付きでラップまじりの新曲を出したならば、ファンからすれば、永ちゃんどうかしちゃったのかよ、と衝撃を受けるだろう。
共犯者のような感じのバラードで、ベルファイアのCMソングで新曲がながれてこそ、永ちゃんだ。
永ちゃん流にいえば「ブレてないね」。
そういったブレなさかげんというのもひとつの価値だ。
おそらくは、ある段階で自己参照しはじめるのだろう。
アーティストでもそう。
草間弥生さんは、水玉モチーフでありつづけてほしい。そう思う。
村上隆さんは、ずっとアニメ路線でいってほしい。
クリスチャンラッセンは、あのテイストでありつづけなければ、と思う。
しかし、クリエイターはマンネリズムと批判されるのをよしとしないケースもある。
メタリカもブラックアルバム以降、新たな模索をした時期があり、その頃のアルバムはファンの支持は少ない。
そして、デスマグネティックで、回帰した。
1人の人間の生涯のなかで、創作の活動期間は30年くらいではないかと思う。どのジャンルにしてもだ。
10年目であるひとつの形に到達したならば、それ以降の20年間はずっとそれでもいいのではないかと思う。
たとえば、ザハハディドは、香港ピークのコンペ案のときに、すでに自分の型をつくりあげた。
施工技術の発達によって、いま、世界で実作がもてはやされている。
おそらくは、20年間まったくブレてない。そして、20年たってもまだ消費されつくしていない、といえる。
50年間消費にたえうる形をつくりあげたならば、50年間、マンネリといわれようが、それを作り続けていいと思う。
偉大なるマンネリズム。わたしはそれでいいと思う。