建築家・浪瀬朝夫さんのブログ「「家づくりのヒント」第四回」
「家づくりのヒント」第四回
2013/10/20 更新
2.「領域」
○ 個人の領域 … 空間の集合
例えば小さな書斎、机の前で作業を行う場合、わたしたちは日頃使っているペンやノート、書類やダイレクトメール、パソコン、新聞など、手の届く範囲に置き作業に利用します。もし効率が悪ければ、自分が使いやすい様に少し整理をしたりもするでしょう。自分の書斎であれば見た目に悪くても、そのような環境を作ることが出来ます。こうした環境は、そのうちにでも心地よいものとなります。どこに何があるのかが分っていて考え事や作業に集中でき、次第に「自分の」部屋という認識が深まっていくのです。小さな書斎に人気があるのは、すぐに納得がいきます。見慣れ、使い慣れることによって親しみを覚え、何よりも自分の手で整えたのですから、その為の満足もあります。少しずつ心地よさを得ていくと同時に、自分自身がその空間であるような感覚さえ持ちます。空間が自身に同化されたと言ってもよいでしょう。身体を中心にした自分の空間に、身近な環境を取り込んだとも言えます。こうした自分の空間は個人の書斎に限ったことではなく、職場のデスクにも同じことが言えます。他人が個人のデスクにあれこれ触れることはありませんし、そこでは落ち着けないでしょう。
家屋の中でも、また勤め先でもそうした小さな空間に留まっていることはありません。家族や友人との食事に、又商談のために人と会うなど、何らかの意図によってその場から移動します。個人の空間を引き連れて様々な場所へ移動します。食堂に行って家族と共に食事のひとときを過ごす、友人となじみの店に行く。そして警戒心など持つことなく過ごすことの出来る空間とは、自分の書斎のように居心地のよい空間、いわば自分に同化された空間、自身が許容している空間ということが言えます。一方、居心地の悪い気のおけない場所もあります。そこに居ることさえ不愉快でさっさと引き上げ立ち去ってしまいたい場所、危険と感じる場所、ラッシュ時の足の踏み場さえない車内、又ある場合には自分の苦手な人が居る場所など、そうした所ではくつろぐことなどないのです。
このように個人にとって、自然に同化したい空間とそうではなく、逆に遠ざけてしまいたい、近づきたくない空間があります。また、そのどちらでもない空間もあるでしょう。関心の薄い場所や、見知らぬ土地などがそれに当たります。個人の空間の周りには、その人固有の様々な空間が広がっているのがわかります。親密に感じる空間、気を許せる空間と、親密になれない空間、疎外(疎遠)を感じる空間、そして無関心な空間などです。空間という言葉を、個人と人、個人と組織、個人と社会の関係にまで意味を拡張してもよいでしょう。 家族と隣人、見知らぬ人々、個人が属する社会とさらにそれを取り巻く社会、よく知っている土地と知らない土地と言えばよりわかりやすいでしょう。「領域」という言葉をそれぞれの空間の集合とみた場合、個人を取り巻く環境は、親密な領域と疎外(疎遠)された領域、そして無関心な、あるいは未体験の空間領域とに分けられ、性格の異なる領域が明確な境界を持たないで横たわっているものと言えます。
個人の空間の中心に身体があることは先に述べましたが、同時に空間領域の中心にも個人の身体があります。自分の体の周囲にもっとも親密な空間が存在することに誰も違和感をもつ人はいないでしょう。先にお話した領域は、この身体周辺のもっとも親密な空間領域から徐々に親密さを欠いていくように見えます。イメージの中で私たちは、親密な許容してもよい空間の広がりの外に許容できない空間領域があり、無関心な空間領域、さらに未知の領域がその間や周縁にあることを感じます。街を歩いていてふと目にとまるもの、目に入らないで通り過ごしてしまうもの、関心の対象やその度合いによって、人それぞれ街の風景や印象は異なります。家族の、あるいは親しい人たちの居る場所から見知らぬ土地まで物理的な空間は連続していますが、個人の中ではそこに微妙なずれや違いがあるのです。
個人にとっての空間領域は、親密感の高いより重要と思える領域から、余り重要ではない、いわば無関心な領域へとなだらかな階層(ヒエラルキー)をもつと考えられます。空間のヒエラルキーは誰一人として同じではなく、そのひと固有の、その人だけが持ちうる空間認識のありようであることがわかります。