家づくりとは、夢を形にするための挑戦です。
船橋純司(船橋純司設計工房)
自分のことだけでなく、パートナーや子供のことも考えて建てなければならない新居。予算のこと。土地の制約。さまざまな要素を考慮に入れて検討すればするほど、計画はどんどん現実的なものになっていきがちだ。しかし、それでいいのだろうか。豊富な経験を有する建築家、船橋氏は「家づくりには、あくまで“夢”を求めてほしい」と力説する。
インタビュー、構成:建築家O-uccino編集部
──そもそも建築家を目指したきっかけは何でしょうか。
最初は、建築よりもファッションや家具などのデザインの世界に憧れを持っており、芸大でデザインを学んでいました。大学を卒業したころはオイルショックの影響で就職難だったので、特に志望していたわけでもない百貨店に就職して、店舗の増改築などのデザインの仕事をしていました。
しかしあるとき、仕事で東京の建築家と一緒に教会を作る機会がありました。その建築家の事務所を訪ねたことが、建築家を志す転機となったのです。建築家が、これから作る家のスケッチを描いているのを見て、はたとあることに気がついたのです。「建築家であれば、分業ではなく自分一人ですべてのデザインを手がけられるのだ」と。そうしたトータルでのデザインをやってみたいと考えていた私は、すぐに百貨店へ辞表を出し、設計事務所に入ることにしました。
──そこまで船橋さんを駆り立てた、家づくりの魅力とは。
施主と夢を語り合い、夢を形にするために挑戦していくという点ですね。実際に家を作るとなれば、「こういう感じが好き」「こういう生活に憧れる」という理想だけではなく、使い勝手や機能性に利便性、それに予算や敷地の制約といった「現実」があります。
それは理解できるのですが、せっかく世界にひとつしかない敷地に、自分で家を建てるのだから、そこでしかできない生活を追求してほしいと私は考えています。施主は建築に関する情報も経験も限られてるので、要望を聞いてみると、どうしても現実的になりすぎる面があります。そこで、私は深くコミュニケーションを取る事を通じて、施主の心の奥にある「夢」を見つけ出すことを心がけています。完成したときに「そう、求めていたものはこれだったんです」と、施主から言ってもらえるような家を作りたいのです。
──これからはどんな仕事をしていきたいですか。
私は今年で60歳になるのですが、憧れの建築家であり、晩年になってから大活躍した村野藤吾氏のことをよく考えています。彼のように、ずっとコツコツやってきた経験を活かして、これから花を咲かせたいと。これからの時代は、インターネットを通じて、まったく知らない方から直接コンタクトがもらうこともできます。これからどんな施主と出会い、どんな家を作っていくことになるのか。想像すると楽しみでたまりません。
船橋純司(船橋純司設計工房)
1951年 名古屋市生まれ。1974年 大阪芸術大学デザイン学科卒業。1978年 中山設計室勤務。1984年 (有)船橋純司設計工房設立。